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南京にあった日本人女学校
南京には終戦まで日本人女学校があった。 63年ぶりに訪ねてみると学校はそのまま残っていた。 学校を見学した直後に録画したビデオである。 (授業中であり、学校内は撮影できなかった) 母の両親は戦前から南京で商売をしており、母は南京で生まれた。 支那事変の間は長崎に疎開していたが、 日本軍が南京を陥落すると、 中国人の学校を接収して日本人学校にした。 この女学校もそのように作られた。 敗戦ですべてを置いて引き揚げた。 母は最期の卒業生の一人である。 母は疎開していて南京虐殺を知らなかった。 大人は当時何も語らなかった。 虐殺のことは戦後になって聞いた。 当時の抗日運動の恐怖は知っている。 女学校には毎日人力車に隠れて登下校していた。 ずっと南京を訪れる気になれないでいた。 しかし、中国は急速に変化しており、 昔の建物はどんどん取り壊されていると聞いた。 それで63年ぶりに訪ねることにした。 子供のときに覚えた中国語はいまだ健在だが、 自分が日本人であることを中国人に言うのはいまだに恐い。 でも、学校の守衛は優しく対応してくれた。 学校の玄関には歴史年表が彫ってあったが、 日本人女学校だった期間だけは空白になっていた。


カテゴリー : 歴史
アップロードされた日 25/07/2010 par 堂山真一 撮影ボランティア
再生時間 : 00:05:16 | 再生回数 : 54 | コメント : 0
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男の料理教室で学んだ建築実務教育
1970年代、まだ男の料理教室など稀な時期に、和洋中をプロから学ぶ料理教室に参加した。ところが、そこで学んだものは実務とは何か、先生のプロよりも中華料理屋のおやじのチャーハンのほうが上手い。大学で火葬場建築を研究しており、設計教育の難しさを感じていた時のヒントをもらった。そうだ、本物の職人の背中を見せればよい人材が育つのだ。


カテゴリー : 教育
アップロードされた日 05/07/2010 par 大井邦子 撮影ボランティア
再生時間 : 00:03:19 | 再生回数 : 63 | コメント : 0
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子供の頃の思い出 (Part2)
東京で生まれ育った頃の楽しかった思い出や父、母のことを少しずつ話してみました。


カテゴリー : 社会・生活
アップロードされた日 09/07/2010 par アベノボル
再生時間 : 00:05:28 | 再生回数 : 75 | コメント : 0
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母の思い出
子どもたちのため、当時はめずらしかったマヨネーズを作ってくれたり、健康のことを考え玄米を炊いたりしてくれた。小学校の頃は、子どもたちが温かなお弁当を食べられるようにと、時間を見計らって作り、ねえやさんが届けてくれた。


カテゴリー : 社会・生活
アップロードされた日 19/07/2010 par 松尾陽子
再生時間 : 00:02:51 | 再生回数 : 25 | コメント : 0
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良き時代の湘南大磯町
昭和18年、戦火を逃れる目的で、東京から湘南の大磯町に引っ越しました。小学校生活は素足に下駄履き、高校時代にできた西湘自動車道路には車がほとんど通っていませんでした。


カテゴリー : 場所
アップロードされた日 13/07/2010 par HARUKI
再生時間 : 00:03:13 | 再生回数 : 119 | コメント : 0
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戦争と職業観の形成
戦前戦中は軍人さんになるしかないと思っていました。小学校1年生や2年生の時には海軍士官学校か陸軍士官学校に行くことを考え、戦局が悪くなると、幼年学校(今の中学)に行ってもっと早く軍人になる道を選ばなくてはいけないようなことを考えていました。他の職についていた人も徴兵で強制的に軍人になりました。職業観も職業概念もめちゃくちゃ。職業選択の自由なんてありませんでした。 職業社会学を専門とされてきた梅澤先生の目から幼少期の職業観を振り返っていただきました。


カテゴリー : 仕事
アップロードされた日 27/07/2010 par Naoko Tomita 冨田直子
再生時間 : 00:04:57 | 再生回数 : 43 | コメント : 0
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バッテリー(電池)を売った (Battery Selling)
古河電池に努めていたことからバッテリー(電池)を売るようになった。 売るための電池は港に持って行って、漁師の魚と交換をした。この頃はお金が無いので物々交換を行っていた。 当時、電池も配給制度で売られていたが、品数が足りず電池は闇で売られていた。しかし、この闇で売られている電池を税務署が差し押さえをするが、それを無視して売り続けていた。


カテゴリー : 仕事
アップロードされた日 28/07/2010 par Takashi Aihara
再生時間 : 00:06:12 | 再生回数 : 9 | コメント : 0
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